仮ではあったけど、本決めの部分結構あるなという。
というか、世界(社会)のどのあたりを見て方針を決めてるかっていうのが根本的なポイントなのかな。自分の場合は「バカとナイフとクルマ」みたいな思考で世界を見ているのでいい風には見えてないんでしょうけど、それにしたってちょっとな、と。
こういう社会情勢になって「社会的距離」って言葉がそれなりに一般化したわけですけど、いくらこっちが距離を取ろうとしても相手が平然と近づいてくるのでどうしようもないなと。
最近二軒のスーパーでいろいろあったんですが。
一軒目は当日指定商品割引日だったので行ったんですが、棚列に結構人がいて「これは通れんなあ」と思ってたら、カート押した婆さんがベタベタに近づいてきてグダグダやってくれてたんですよね。まあこれは自分にもやや非があるのかもしれませんけど。そのあとレジに並んでたら、その婆さんが真後ろにつけてきてやっぱりべったり張り付くんですよね。さりげなくレジ上の「距離を開けろ」ポップを触ったりして見たのですが一切意に介さず。というか、そういうポップがスーパーに付きだしてどれだけ経つんだよ。しかもそのあと後ろに来た知り合いとぺちゃくちゃしゃべり倒してるし。これ自体はよく見る光景ですが。
二軒目は、やや客の入りがあるスーパーなんですけど、例によって後ろに張り付いてきたんですよ。赤ちゃんを抱えたお母さんが。マスクをさせるのは困難とは言え、その子の防護をなにもせずに。さらに、その後ろのオバハンが(マスクしてたけど)距離を詰めてニタニタニタニタ。すまん、あらゆる意味で気持ち悪い。
そういうあれこれが重なった結果かはわかりませんが(たぶんそうだろ)。
最近の市報に、「わが市での感染者がのべ80万人を突破しました」みたいなニュースが出ていまして。なんかこう、“ふつうのひと”っていうのはのべのところに一切目を向けないんだろーなーと。
主に芸能人界隈が多いですけど再感染者がちょいちょい取りざたされていて、当然のように複数回感染者が結構な数いるからこそのべになってるんでしょうけど、追跡調査がぽしゃった現状でも最低限この辺の解析はどうにかならんものかと。最近見てる『Dr.ハウス』の「患者はうそをつく」という大前提が事実である以上は正確性を突き詰めることはできんのでしょうけど。なんかなあ。
慶事が近づいてくるなら文字通り喜ばしいことなんですけど、ほぼあらゆることについて死神がタップダンスやブレイクダンスをしながら近づいてきてるようにしか見えんのよね。それも要らん死神が。というわけで、表題の副流煙がそれに似ているのかなとか思ったわけです。こっちが避けようが平然と近づいて絡みついてくるという。
それはそれとして、人のいないところにいる分にはあんまり気にすることもないはずなんですけど、結局外界を自転車で走ってる人とか散歩の人を見ることはほとんどありませんね。今のところ徒歩自転車ともに撮影とかしたりしててわざわざ近寄って難癖付けてくる輩はそうそういない(ドライバーは不明確なのでゼロとも言い切れませんから)のが救いっちゃ救いなのかな。
飯倉さんほど配慮とか加工とかする気ないので、個人の主張は喜んで世界に配信させていただくつもりでやってきておりますのに。まあそういう機会がないならないんで別にどうでもいいんですけどね。いやよくねーか。汚物を投げつけてくる(低評価のことね)輩ばっかりだし。コメント晒しってなんだかんだ効いたのかな。
ていうか、撮影場所とか言い当ててる人がいるんだからいい加減なにか変化があってもいいとは思うんだけど。無いよねー。
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