2022年12月6日火曜日

世界と付き合うのはあきらめるべきかもしれない という身も蓋もない論理的帰結(一応まだ未定にしておく)

 


 結局のところ、「変わった方がいい」というか「認識おかしくね?」と自分が思うような人たちって、変わりもしないし、変わろうとも思ってないか変わる気が無いかなんですよね。ホント、何か思って始めても頑張ってもいつもこの無価値な結論に達するのって結構あるような気がするんですけど。
 そもそも、自分に対してなんらか好意的な評価をくれてきた人たちって、別にこっちが何かを贈る必要性は無いわけですよ。言われるまでもなくやってるだろうし。できることは、第三者的とか、その人には知覚しえないような視点からの光景を提供するっていうのが一つ価値としてあるんでしょうけども。その辺は一度言っていただいたこともありますし。
 つーわけで、なんかもうそういうどうにもならない輩が大多数というか、道路交通動画の編集分析とかするに、

 尊敬できる人、すべき人がおそらく一握り。
 特に自覚も意識もしてないからと言って許されていいとは言えない人が大多数。
 唾棄すべき人のようなものが三握りくらい。しかも現実仮想問わずニヤつきながら暴れまわる。

 というまあ、そのくらいなのかなと。
 絶対的なところの前に、結構企業による道義的責任っていうのがあると思うんですけど、そっちに期待するのは無理ですね。経歴柄「三方良し」なんてよく聞かされたものですが、どうもお客様をハッピーにして裏でネットで言うところのニチャァってしてるのがデフォルトな気がします。もしくは知らないふりか。これはまたどこかで書こう。
 絶対的なところは警察なんでしょうけど、っていうか司法機関全体ではあるんですけど、そもそもの窓口が警察しかないので、そこが機能しているかというと。うん。果たして手が足りないのか意図して手を抜いているのかよくわからないですが。少なくとも、意図して目を逸らしている・逸らさざるを得なくなっている面はあると思います。
 こんな風に、好転する要素って今のところ一切見えないのでズルズル悪くなっていくのはわかりきっているのですけど、結果ってすぐには出ないので十年後二十年後にしかこの話の結果は出ないんでしょうね。
 まあなんかこう、いい感じで違反者と違反者で潰しあうようになるくらい世の中悪くなれば一気に変わるんだろうけど。冗談抜きで悪運の強いやつらしかいないからどうにもならない。

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