アンケート調査には、回答項目を3つ以上設けるのが普通です。
組み合わせは、
・はい/どちらでもない(どちらともいえない)/いいえ
・はい/どちらかといえばはい/どちらでもない/どちらかといえばいいえ/いいえ
でしょうか。
日本人の特性的なものとして、「どちらでもない」が多くなる傾向があるといわれています(出所不明?)。このどっちつかずの感じが嫌いなので、大学在籍時に真ん中を省いたアンケートを作ったら一応用意しておいた方がいいと言われたりしましたけど。
もちろん、設問Aに対して、「ある面では賛同できるが別の面では賛同しかねる」という意図で「どちらでもない」を選択している人も一定数いるのとは思います。しかしこれ、それこそ「どちらかといえばいいえ」となる返答ではありますよね。
YouTube動画の評価の傾向なんかを見ていると、どんな動画でも割といいえに該当する評価、即ち低評価を付けている人がかなりいます。これももちろんどちらでもない=無評価の人が大多数ですし、動画内容を評価しないという意図で押している人もいるんでしょうけど、どこか個人攻撃の材料になっているような気はするのは思い過ごしなのでしょうか。
最近あった件(※いろいろ。某番組出演者への攻撃とか自粛警察とか)といい、日本人は理性的だと海外から言われる傾向とは真逆に、己の正義の元に個人を攻撃してもいいのだという思想が意識の下、無意識より上の微妙な位置にあるように思えます。あえて表現するなら、共有できずに鬱屈している部分と言えばいいのでしょうか。
「日本人は理性的だ」と言われる部分というのは、同調圧力と呼ばれるものや他人に対して自分を善く見せなければいけないという強迫観念に基づいているのではないでしょうか。アンケートは大体の場合顔を突き合わせて回答するので、個人が透けて見えるんじゃないかという無意識があって抑制が働き、ネット上では顔が見えないので自分が何者かわからないだろうという思い込みによって(※個人特定されてる人山ほどいますし)没個性化が働いて本性がむき出しになる、と考えるのは飛躍でしょうか。
自殺というのにもそもそも傾向があるらしいのですが、飛び込みがそこそこあるという時点で、認知欲求が満たされていない傾向がこの国にはあるのだろうなと思います。
逆向きに何かが壊れると不快爆音でアピールしたり、「俺コロナ」みたいな人になるんだと思いますけどね。前者は確実に認知欲求の不足です。
たぶん、どこかでみんなやりたい放題やるのが幸福なのだと知っているんだと思います。アメリカだとその辺が銃乱射になるのは、宗教的なものなのか思想的なものなのかはちょっと気になりますけどね。
まあ、それが真の幸福ではないと思うからこそ、私はそうなっていない(と思う)のですが。
※自分の動画は、現実を正しく把握する材料として提供しているのであって、個人攻撃の意思は(ほとんど。流石に悪質な場合は除きますよ)ありません。その辺を勘違いしてる人が結構いるようですね。
で、YouTubeの低評価機能はいつなくなるんですかね。
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