2020年5月4日月曜日

性善説は性悪説である

 このエントリを見た人は「お前は何を言っているんだ」と言う。

 道路交通(ホントはそれに限りませんが)で「ゆずりあい(譲り愛、等)」という行為があります。道路交通法では明確に交通ルールと優先順位が決まっているので、自分は「譲る」という行為には実は疑問を覚えています。なんというか、システム性が崩れるような気がして。もちろん、相手を先に出さないと右左折できないという状況はあるとは思うので、そういう場合はオセロの戦術で言う「先を取らせて後を取る」という手法がベストだとは思います。本音は、「そういう道は一方通行にしろよ」ですが。一時停止で止まっている時、明らかに曲がれる道でぼけーっとこっちの通行を待っているような意味わからないドライバーも稀にいるんですが、その車が突然加速してくる可能性がゼロでは無いので、視線を切って「さっさと行けよ」と割と思っています。それ以上に小回り右折してかすりかけてくるヤツが多くいて、そういうヤツは四輪乗るなよと思いますが。
 道路を通行していても、「誰か入れてくれないかな~」といった様子できょろきょろ左右を見たりじっと目線を合わせてきたりという人はいると思います。タイトルとは関係ないですが、かなりいる"歩道に突っ込んで右折タイミングを延々と待っている人"には「諦めて左折してどっか回ってくればいいのに」と思います。あるいは、近所の某スーパーでよくいる"南出口で長時間待って(交差点手前なので割と詰まるのです。当たり前ですが)右折→直進と進んでいる人"を見て、「なぜ交差点から遠い西側出口から左折で出て右折しない?」と疑問に思うこともあります。

 タイトルに戻りますが、「誰かが入れてくれるだろう」と考えている人は、性善説的な考えに基づいて行動している(自分も「譲る人=善人」だという式に異論はありませんし)のだと思います。しかしこの人が逆の状況で譲るのかと考えると疑問ですし、そもそも「誰かが譲ってくれる」という考えは、裏返せば「自分は譲る気はない」という思考に近いのではないかと思います。要は自分の利益を相手の利益より優先しているわけですし(車一台分の距離の利益ってなんだよって気もしますが)。
「情けは人のためならず」というのはまさにこれというか、そういう思考が共有されていけば、自分にとって住みやすい世界ができあがっていくのではないかなーとずっと思っています。「じゃあ何台分開ける?」と聞かれると答えは「無限」になってしまうのですが。合流にしても、車間距離取って等速度で走っていれば理論上渋滞は起こらないので、右左折した車がいた位置や信号や料金所なんかのタイミングで開いた広めの車間に滑り込ませることができれば割とうまくいくんじゃないかと思いますけどね。早く自動運転になってどうなるのか見てみたいものです。

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