週末外出自粛で閑散としている銀座の映像と共に、石垣島や宮古島に人が殺到しているという報も流れていました。もちろんこれら二種が同じ人だとは言いませんが、週末外出自粛してれば後は何してもいいだろ、みたいな感覚がある人がいるような気がします。むしろ銀座の状況を見ると、安全なのは週末なのでは(ぶっちゃけ、自転車で走るならパリぐらいゴーストタウン化していた方があらゆる意味で安全なんじゃないかという気すらします。あれは完全に外出規制がかかっているからですけど)。
というか、一人か二人くらいガスマスクしててもおかしくないと思い続けてるんですけど、現状ゴーグルをかけてる人でさえもリアルに見かけたことがないです。
で、例によって前置きを書いて主題。
十年くらい前までは、人間の智の総量は徐々に増えていくものだと思っていました。もちろん、物理学がこの世界のシステムを完全に解明するというブレイクスルーの終焉はあるでしょうが、それが来るまでは人間全体としては賢くなり続けるのだとそう思っていました。
しかしある日、人間の智の総量は有史以来決まっていて、人の数でそれを分割しているのではないかという考えが頭に浮かびました。実際の所人間の知力は大して変わっていないか多少上昇している(シンギュラリティのグラフによると後者)のでしょうけれど、どうもこれだけスマホが普及してきても、使いこなしている人よりながらスマホとか自転車逆走とかが目立つので、むしろ低下している気がします。前者はもちろん時代的なもので、後者はそもそも掃いて捨てるほどあったものがスポーツ自転車ブームの影響後で明確な敵として押し出されて余計にそう見えるのでしょうけど。
で、例として取ったものの自転車も自動車もバイクもトラックもやってることは大して変わらないと思います。そこは間違えてはいけません。
閑話休題。
人間の智の総量については3種類考えられるかと思います。
1.現象の解明や個人の知能の総和によりほぼ無限に増え続ける。
2.絶対量が決まっていて、人口で不平等の取り合い。
3.総量のようなものは特になく、その分野の天才のレベルで頭打ち。
まあ、3は文字通りだとちょっと味気ないというか、2番目以降の人が不憫だし大多数の人の存在意義がないですけど。智の最上がノーベル賞だったとして、賞を取らなくてもその分野の発展に寄与している人なんて山ほどいるので、そういう取り方は誤りだとは言っておきます。
どこで自分の思考が転換したのかはわからないですけど、「魂は物質(原子的に構成された存在)かどうか」ということを考えた辺りだったかもしれません。いわゆる死後の世界があれば、魂というものは無限に増えていくわけで、ぶっちゃけそれは無いですよね。そもそも人格は脳の電気信号だと考えるのが物理や生理学的に一つの答えだと思います。あんまりロマンもない寒い話ではありますけれども。後は年齢故の諦観かな。さらにそれ以前に、「感情は論理で解体できるか」とかもあったのだけれど、それは置いておいて。ちなみに、個人的な答えはイエスです。
エネルギー保存の法則や質量保存の法則を考えれば、いわゆる「人としての意識」、あるいは「生物全体としての意識」には絶対量があって、人間が増えてるんだから、一人当たりの意識の総量が薄まってるんじゃないのか、というのがある日ふと頭に浮かんだわけで。少なくとも、人類のタンパク質の取り分は明らかに他の動物の分からぶんどってきてますよね、きっと。
そんなこんなで、あんまりなと。対象がほとんどネットの書き込みなんかなので微妙なのかもしれませんが。とは言え、ネットって人間の本性が出るような気がするんですよね。もちろん、文字情報や音声だけなのである程度曲解されるものもあるんでしょうけど。少なくとも、逆もまた真なりでもないにしても、自分の言っていることの逆くらい考えた方がいいんじゃねえのかなって人は割といますね。というか、考えてしゃべってるのかわからない人も割といますし。
蛇足になりますけど、人間は善か悪かということを考える上でAIの学習問題は切っても切れないのではないかと思います。気になる方は、「Tay (てい)とは【ピクシブ百科事典】」と「ゼロ(SAO) (ぜろ)とは【ピクシブ百科事典】」辺りを参照すると見えるものがあるのかもしれません。他に人間からラーニングさせて作られたAIを知らないのですが、双方共に倫理的には悪になってしまったというのは、なんかつまされるというか本質を見せられたというか、そんな気がします。現行だと仮面ライダーゼロワンがまさにこの辺の問題ですよね(脚本的な問題があるので恣意性がないとは言えないのがつらいところですが)。
2.絶対量が決まっていて、人口で不平等の取り合い。
3.総量のようなものは特になく、その分野の天才のレベルで頭打ち。
まあ、3は文字通りだとちょっと味気ないというか、2番目以降の人が不憫だし大多数の人の存在意義がないですけど。智の最上がノーベル賞だったとして、賞を取らなくてもその分野の発展に寄与している人なんて山ほどいるので、そういう取り方は誤りだとは言っておきます。
どこで自分の思考が転換したのかはわからないですけど、「魂は物質(原子的に構成された存在)かどうか」ということを考えた辺りだったかもしれません。いわゆる死後の世界があれば、魂というものは無限に増えていくわけで、ぶっちゃけそれは無いですよね。そもそも人格は脳の電気信号だと考えるのが物理や生理学的に一つの答えだと思います。あんまりロマンもない寒い話ではありますけれども。後は年齢故の諦観かな。さらにそれ以前に、「感情は論理で解体できるか」とかもあったのだけれど、それは置いておいて。ちなみに、個人的な答えはイエスです。
エネルギー保存の法則や質量保存の法則を考えれば、いわゆる「人としての意識」、あるいは「生物全体としての意識」には絶対量があって、人間が増えてるんだから、一人当たりの意識の総量が薄まってるんじゃないのか、というのがある日ふと頭に浮かんだわけで。少なくとも、人類のタンパク質の取り分は明らかに他の動物の分からぶんどってきてますよね、きっと。
そんなこんなで、あんまりなと。対象がほとんどネットの書き込みなんかなので微妙なのかもしれませんが。とは言え、ネットって人間の本性が出るような気がするんですよね。もちろん、文字情報や音声だけなのである程度曲解されるものもあるんでしょうけど。少なくとも、逆もまた真なりでもないにしても、自分の言っていることの逆くらい考えた方がいいんじゃねえのかなって人は割といますね。というか、考えてしゃべってるのかわからない人も割といますし。
蛇足になりますけど、人間は善か悪かということを考える上でAIの学習問題は切っても切れないのではないかと思います。気になる方は、「Tay (てい)とは【ピクシブ百科事典】」と「ゼロ(SAO) (ぜろ)とは【ピクシブ百科事典】」辺りを参照すると見えるものがあるのかもしれません。他に人間からラーニングさせて作られたAIを知らないのですが、双方共に倫理的には悪になってしまったというのは、なんかつまされるというか本質を見せられたというか、そんな気がします。現行だと仮面ライダーゼロワンがまさにこの辺の問題ですよね(脚本的な問題があるので恣意性がないとは言えないのがつらいところですが)。
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